この2ヶ月よく買い物した。
ものをつくって売るようになってあまり物を買わなくなっていた。
箭内道彦が「買い物は投票になった」と言った。
まぁそうなんだろうなぁと思うが、もうちょっとしっくりくる言葉があるような。
最近思うのは、じぶんが持っている衣服。または身の回りの生活用品。
それらを使うとき身につけるとき、その品を誰が作ったか認識できるか否か。
さらにいうとその作り手の顔を(できれば笑顔を)知っているかどうか。
ただよいものを作りたいと思ってる職人が、なぜよいものをつくりたいと思っているのか。
あなたが売りたいものはなにか。
わたしが買いたいものはなにか。
ストーリーが商品になるとき。
シュチュエーションが商品になるとき。
思想が、理念が、商品になるとき。
最終的に人じゃないの?と。
需要と供給でいうと確実に供給のほうがまさっているのに、それでもなお枯渇している感じはなぜか。
価値の所在はどこなんだろう。
だれがつくったか、つくったひと(ひとたち)が、なにを、だれを大切にしているか。
知ることが、または想像することができるなら。物を買って後悔しなくて済む気がする。
そうなったらきっと断捨離する必要もなくなる。