4月、作る手はぴたと止まっていた。
5月、イベント出展はするもやっぱり製品をつくる手は少ししか動かなかった。
中高生のころあれほど読んだのにほとんど読まなくなった本を読みだした。
だいたい現代思想と社会学と宗教学の本。
(じぶんについてかんがえることはひとについてかんがえることでそれはかみさまについてかんがえることだとおもう。見い出す対象のむこうにあるものを便宜的にかみさまと呼んでいるかんじ)
6月、製品をつくることが創作に移行したのを知覚して、
もうプロダクトには戻ってこれないかもしれない・・・と思った。
だってもう布じゃなくていいし、セカンドサイクルのファブリックは立体を造形するための絵の具になったから。
あぁでも違う。
分けなくていい。
製品は製品のままで置いておけばいい。
プロダクトレーベルの中にじつはそもそもじぶんは居ない。
レーベルの中にあるのはお客様に投げかける企画だ。
指図書をつくって外注にまわせば量産できるレベルまでを個人でもっていく作業だった。
創作するという回路を開くためのおよそ2ヶ月半だったのかなぁと思う。
事業の成長と自身の成長を分けて考えることができるほどわたしは成熟していない。
創作によってじぶんの深いところを探ってかたちあるものに変換したい。
その変換を開示した場所できっと、やっと意識の地盤が安定する気がする。
道明寺のおわりがけ「でも迷走しているときって楽しいですよね」とkotanさんに言ってて我ながらビビった。
そんなこと考えてたのか自分は?
この進行中という名のBlogは迷走の記録だな。 ーーーーー(迷走と瞑想は読みが同じだ)
迷走が楽しいのはどうしたらいいかわからなくなってもきちんと目を凝らしていれば、
暫定の全体像が見えることだ。