プロセスごと作品であるということ。
場所と、組む人と、参加するひとが、揃ってやっと「展覧」になるんですね。
なるほどです。
いつも終わってみないとわからない。
あたらしい質感は言葉になるものやならないものも含めて徐々に見えてきます。
展覧会中も、研究と実験はつづき、開催中も手を加えて行く作業は止まず。
「融具」と名付けたものたちは、日常雑貨であり、アートであり、遊び道具であり。
そのどれでもないかもしれないし。
話し合いの中で、それがなにかを決めるのは作っている自分たちではないですよね、というのが基にありました。
原始的なよろこびは、こねくりまわした理論じゃなくて「だからなんなの?」と言われてしまいそうな理屈抜きの道具や装置に触れること。
愉快な気持ちが先に来て、「なぜ?」は後からやってくる。