お や す み
2025.5.28(水)
MMM MADE自主企画展おやすみ終了しました
ご来場いただいた皆さま
お買い求めいただいたお客さま
心寄せてくださった全ての皆さま
fuyafuyaちあきさん
誠にありがとうございました
そして愛ある友人知人の皆さま
おやすみに来れなかったことに気を揉まないでください
ご多用な日常でご無理ないのがいちばんです
またよきタイミングで会いましょう
📢引き続き、MMM MADEのおやすみ展に出品していた作品(ショートエプロン、チェックもんぺ、割烹着、ポジャギ布)を、6月半ば〜一部6月末まで、fuyafuyanoma店頭とInstagramのDMメッセージでのアナログ通販でお取り扱い頂くことになりました。
paypay決済、別途送料600円、後日店頭受取も可となります。
MMM MADEのinstagramアカウントのストーリーズのハイライトに取扱作品一覧まとめています。
MMM MADE 自主企画展
お や す み
〈とき〉2025/5/10(土)—5/27(火)
会期中の ※(土)(日)(月)(火) (水) 13〜18時 営業
※その他の曜日はSNS要確認
✔︎1組限定ご予約制入場枠:11時〜13時
〈ところ〉fuyafuyanoma
@fuyafuya16kaku
阪急豊中駅から徒歩15分ほど
〒560-0046豊中市千里園3-6-10
千里園マンションA101号室
入場料 おひとり500円
✔︎11〜13時の1組限定ご予約制入場枠(1500円)ご希望のお客様は、・日にち・人数 ・お名前を明記の上、fuyafuyaへ DM宜しくお願いします
(MMM MADEのネットショップのコンタフォームからもメッセージも可)
ご予約枠の例案
💭1冊絵本を持ってきて、fuyafuya店主ちあきに読み聞かせしてもらう時間にする(詩や短歌などもよいかも?)
(Introduction)=(Outro)
______イントロとアウトロを兼ねる______
脊椎から脳梁にかけて 階段を登っていく
白い部屋が現れる
ここは休憩するための応接室
わたしたちのためにずっと存在している
これから どんな過去や未来でも
あなたに おかえりと おやすみを言う
___________________________________
エムエムエムメイド "おやすみ" 豊中 fuyafuyanoma
-DMの折り方動画-
▽
▽
▽
▽
2025.5.30(金)
頭の中にあった部屋を具現化したらもう終わってしまう気がしてたんですが…
階段が分岐して"まもぐるみが居る応接室"の隣に、また新しく、白い空っぽの部屋ができるイメージが湧きました。ちょっと待ってまだ部屋あるやん!…みたいな
というか脳内の展示室は、むしろアパートなのか。
ひとつ部屋が終わったら壁に穴開いて向こうにも空間があった。
部屋の隣には、庭ができたり、砂浜になったり、山や森になったりする場合が、あるかもしれない(アーティストの言葉は感覚的過ぎて意味わからんな…と過去に他人をみていて思ってたけど、我ながらこの感じょ🤣)
さて!
6月〜7月初旬まで、MMM MADE辻岡、なんやかんやワイワイ作品と共に動きますので、各所で宜しくお願い致します🤲
2025.5.27(火)
本日個展最終日です
"おやすみ"という自主企画展の中で、MMM MADE辻岡の作家で体現できる核心は、置けた気がしています。
有形の呪文を譲渡する愛の通過点という気づきは、確かな実感をもって湧いてきました。
まもぐるみは、何も要求しません。自分に愛を注ぐ以外は。
それではみなさん、さようなら‼︎
2025.5.26(月)
技術の一般運用が先か、個人の表現の実現が先か、みたいな感覚はちょっとあって
本来作り手は表現の実現と具体化を先に済ませてのちに一般運用~社会実装の段階に入るのが正規ルートなんだけども
自分の場合逆で、一般運用を10年くらいやったのちに個人の表現の具体化を図ったような気がします、約3年くらいかけて。
数年前、展示しすぎて疲れてやった、これからの10年を意識してcrosshillvacancesという超個人的な展示から派生して、全ての作品は一連で繋がっています。
この3年くらいの創作と製作、ひとつづきの完成形がおやすみ展です
2025.5.23(金)
結果的に"おやすみ"の応接室は遊び場になった、やってみないと解らないってのはコレですな
なるほどなぁとおもう
fuyafuyanomaで個展するみなさんの根底にある水質は似ている、ような気がする。
あー、他人の展示を見ては、自分が言ってることとほぼいっしょやなと
(似た内容のことを言った人が居たな、結局おんなじ井戸の水で、誰が汲むかってだけの話みたいな)
おやすみ展に向き合って思ったことで、ある意味ぞっとするんですが、「創造の源は愛」だった、オー、コワ。そんな、マジか。
マイクリエイティブリソースイズラブ
my creative resource is love.
2025.5.22(木)
おやすみ空間がなくなってしまうのは寂しさがある。
なにしろ自分のファンタジーと技術で構成されたシェルターなので。
たとえなくなってしまっても存在した見て触れて居た記憶はのこるから、ずっと見守ってくれていて、休憩したくなったら意識の中にいつだって入り口が用意されている。
2025.5.21(水)
自主企画の展示は特に、会期後半になると来客数や販売をみて考慮し、はて、これでよかったのだろうかと省みる瞬間がある
(もうこれ以上のことはできないとおもう、毎回その都度やりきってる、はず)
具体的な数字の目安をみたら、ギリギリアウトにはならなそう…
作品製作と販売が仕事なので、あんま甘いこと言えないかもなんですが、表現の純度は大切にしたい。根っこがない花は一緒で散りそうだし、それは避けたいので
結局fuyafuyaちあきさんが展示ごと楽しく過ごしているようで、何よりそれがよかったのではとおもう。
店(場)の人がエンジョイできていれば、あらゆる方面がうまく噛み合っていくから。お客さまにも良さを伝えられる。その単純な図式がじつはほぼ全てだと思うんだろうけど、どうだろうか
2025.5.19(月)
我々は企てた 全人類総おやすみ化計画
休むことの名誉に気づいたら
自分の星が光り輝いた
もうよその星に 思いを馳せたりしない
2025.5.12(月)
休んでくれてありがとう、休みに来てくれてありがとう!
と、来客の友人知人にメッセージを送って、普段あんまり言わない表現だなとハッとする
感謝は何かや誰かの働きに対してすることが多いから?
休んで感謝されることってあんまりない、あんまりないから、わざわざしたかったのかと思う。
皆、学校とか会社とかサボって来たらいいのに。母とか父とか子供とか男とか女とかあらゆる役割を一旦脇に置いて入室できる部屋を用意できたらだいじょうぶになっていける。
まもぐるみには、あなたの話をよく聞くための羽状の耳と、抱擁のための腕がある。
自分の意思で明確に組み立てたタイプの展示中はいつも不思議で、自分が何を考えていたのかハッキリしていく、基本あんまり考えていないのかもしれない。体感と情感があって、言葉がやってくる。それで、やっと輪郭がくっきりする、そうやって勝手に納得している。
2025.5.10(土)
個展が本日からはじまりました
2025.5.4(日)
誰も聞いてなくても自分自身が聞いているし、その話をして欲しいのはわたし(あなた自身)だから、誰も喜びそうになくても、その心の感じ方に耳をすませば、なんとなかなっていける
そのための言葉やことば以外の言葉
2025.5.3(土)
まもぐるみに取り掛かったあたりからいよいよ吹っ切れた感がある、いい歳こいて夢見がちなのは気味わる怖いし控えるべしとなんとなく思っていたことにすら気づいていなかった。
思考のバイアスはおそろしい。かかっていることすら気づかない。
女性性とか母性とかに取り組んでいるのだと作品を見ていてわかってくる、結果的にだけれども。
今じゃ考えられないけれど昔はそれが普通だったから…なものごとが多々ある。
とすれば、50年後100年後になれば今している常識や規範も、なんでそんな誰も救われないような方法を取り続けていたの?当時の社会も人達アホなの?と未来の人は言うかもしれない
固有のファンタジーみたいなものを掘り下げて、その中にどんどん入って行くと、楽になる。回避する為に踏み入らないより、深めちゃった方がいっそよかったパターンかもしれない。
数十年前に見ていた場所を見るとき、あの時は、今よりもっと薄暗いどんよりした気持ちで同じ風景を見ていたと思い出す。
どの季節でどの場所に居ても何を見てもずっと薄暗くかなしい。そうゆうものだと思っていたけれど、本当は違う。
意識を拘束している思考のレイヤーをはずす、というかそのレイヤーという檻に気づけたなら感じ方が変わる。
あまりにも思っていることを言葉にしなくて誰にも言わずに居たら、自分の感覚がどのようなかたちをしているのかわからなくなる、だから創作や作家活動の中で個人を取り戻している、忘れてしまった感覚を発見できるから。
2025.4.22
脳を休ませるために睡眠が必要だと考えられていたけれど、脳の無い生き物、例えばクラゲも眠ることが解ったらしい
そこから、生き物の基本は睡眠状態であり、起きて活動している覚醒状態こそイレギュラーと結論が出た(一旦は)
生物学では、そもそも眠っているのがデフォルトという見解らしい
YouTubeで知るファストな教養の話
マジか!?となる。
-
ぐんぴぃとあのちゃんがバライティ番組で、結局今の活躍の原動力は10代の時に味わった出来事に反発する怒りのエネルギーで駆動していると互いに言っており、ほほぅ…となる
転じて自分にはその怒りのエネルギーとやらが根本的に無い、怒ると疲れるし、ましてやそれを継続できる気がしない
-
元芸人のレンブスチャンネル(YouTube)で、「俺は感性がしんでるんです」、好き語りができない無趣味さを恥じるな、それをごまかすために変な趣味つくるな!と啓蒙する動画をみる。
…まぁまぁな衝撃だった。
作家してると周りの人も感性の化け物みたいな人が多数なので、感性しんでる系(語弊のある括り方だな)の知人は少ないから。
なんだろう、人って不思議。
-
小説をいつの間にか読まなくなってたけども長嶋有の本はスーッと読める。僕たちの保存、を読んだ。
デジタルは場所を取らないって言われてたけど、ギガが足りないってGoogleクラウドは警告してくるし、携帯の通信料は制限されるし、結局場所取るじゃないかってのはむちゃくちゃリアルだった。
そうだ首相は撃たれて亡くなった、話の中のエピソードで触れられて思い出した。
社会的なトピックも案外かんたんに忘れてしまえるのに気づく。
…例えばSNSで炎上してるってニュースがあって、具体的に誰の何が、どこが燃えているのか"燃えている場所"は、どこなんだろうとか思った。
音楽の流行りみたいにシーンが動く、みたいなことか。
仮想の場所でも、保管スペースや積載量が足りたり足りなかったりする。インターネットの空間とかパソコンやスマホの中の場所。
URLってインターネットのなかの住所なんですよってのは、90年代に聞いた説明
-
キセルのライブへ。シャングリラまで。
キセルは25周年らしい。
ジャズ+現代音楽+民謡、みたいなニュアンスになっていた。
とくにニューアルバム観天望気が音頭のリズムって雰囲気だったけど、生で見たら演者が、人がもう、楽器みたいだった
デビュー当時からファンなので期間は空けど定期的に観ている。こんなふうにミュージシャンって変わっていくんだなとしみじみ。
進化というか、人そのものと鳴っている音が重なっていくかんじ。
もう音色を狙いに行くとかじゃないんだろうなという。
弟は笛とか竹製のギターみたいなの自分で作って弾いていた。相変わらず変なひと(褒めてる)
兄が喋り出すと急に深夜ラジオみたいな空気になる、と本人たちも言ってたけどまさに
連れ合いと、角張さん(キセル在籍レコードレーベルオーナー)がきっといい人なんだろうね、って話になる
2025.4.15(火)
天啓みたいに、
言葉が降ってくる
"全力で自分を愛し抜け、
そして自己救済せよ"
2025.4.10(木)
お休みはgoodnightでありつつrestなんやなと気づく
休暇とか休息とか
今日はおやすみ(吸って吐いて、羽根伸ばして、お気楽ないちにち〜!みたいな)
2025.4.2(水)
3月はいちろうさんの展示。
fuyafuyanomaにて。
辻岡の感想。
いちろうさんの絵は強引なくらい優しくて、作品群の中にユートピアが現実と地続きで存在して、「かわいい可愛い」と言いながら、見え隠れする願いの切実さを想像するとジーンときた。
展示というのは、作者の中に流れている太い物語を、閲覧者に読み解いてもらう場なのかもしれない。
自分の深いところに流れている太い物語が見つかる方法は、自分以外の誰かの深いところに流れている太い物語を読み解く、なのでは。
"Self-rescue is self-discovery; it may save us."
個人的なことは社会的なこと/ 編むことは力
以心電信(YMOの)の、この感じ、まもぐるみのテーマだった
セルフレスキューをセルフファインドする、それが結果アワーズレスキューになる
個人的なことは社会的なこと
2025.3.25(火)
自主企画展 "おやすみ"までの話
「ちあきさん、fuyafuyaってのがどういうものなのか、きちんと自分の言動で示すような展示をしたほうがいいですよ
あなたは今まで作家を呼んで迎え入れる側だったけれど、いよいよfuyafuyanomaというのが何をしている場なのかを具体的に言語化する、体現するタイミングが来るはずだから
MMM MADE辻岡が、ギャラリー(場の人)になるので、いつもとは逆で、ちあきさんがアーティストとしてfuyafuyanomaでfuyafuyaちあき自身を開いて見せる展示をしたほうがいい、
企画案出すし、プロデュースっぽいこともできるだけバックアップするので」
…というのが、2025年5月の枠で、MMM MADE辻岡に、fuyafuyaちあきさんから展示を振られた時の、いちばん最初に辻岡から投げかけた話でした。
結局何回かの相談のあと、ギャラリーと作家の役割を逆転させても各々の力量は充分に発揮できないという判断で、辻岡のソロ個展になるわけですが…
そして結局その言葉はブーメランのように返ってきて、自分の言葉と技術でMMM MADEと、それを動かす辻岡の創作と製作のソースがどういうものなのか、きちんと示すような内容にしなくては…となりました
つまり本気の脱力みたいなことなので緊張感はないんですが、感性と技でリラックスに挑む、みたいな不思議な構図になっている
いつかの日記📓
年明け配る大吉おみくじを準備する際、ふだんはカード型のケント紙を使っている
半透明のグラシン紙にしたらどうかと思いたち、ワードをよくよく見ればわかるようにと、
白インクのペンで隠れメッセージのように言葉を書いた
(ほぼ大吉みくじにはやんわりと励ましのワードを書くのが定例)
愛せるようになる
どれくらい目を凝らせば読めるか何回か試す
愛せるようになる
愛せるようになる
3回書いたくらいで、うっすら透けた紙を確認のため照明にかざすと、"愛せるようになる"は、目視で読めるか読めないか、くらいだった
その時、うっかり胸に迫るものがあった
自助とはつまりこうゆうことなのかと
2025.3.19(水)
ちょっと休んで、身軽になって帰る、そんな展示をしたい。
2025.1.23(木)
-来客の皆さまには展示空間で寝てもらいます
会期中各日、おひとり様限定入室のご予約時間を設けます、ゆっくり寝ましょう。
—企画案—
・おやすみくじ
寝る前に読みたいひと言など
・音読タイム
お客さまが1冊絵本を持ってきて、fuyafuya店主ちあきが読み聞かせ(詩や短歌なども可)
物販 - 枕カバー型まもぐるみ、永遠の布、パジャマ服
展示期間終了後のお渡し、一部即日お持ち帰り有
💤
-
-
結局fuyafuyaちあきをゆっくり寝かせてあげたいという気持ちが、おやすみ展のきっかけを生んだと思う(ソファで気絶と言う名の寝落ちをする日々を送っているらしかったので)
2025年5月は、MMM MADE辻岡が、眠りの魔法で優しい気持ちでうとうとできる空間と物をつくる、そうゆう企画展です、fuyafuyanomaまでご来場いただきますよう🙏
-
-
-
サロンドシーというソーイングWSサロンの展示を4年前くらいにfuyafuyanomaでさせてもらった時
「主役は辻岡さんなんですから」と、ちあきさんに言われたのをいまだに不意に思い出す
いいえわたしは主役ではなく、主役はお客さまで、作り手はあくまで脇役であり、主役は使い手のあなたですよ!とおもう
それはほとんど真実で、真実でありつつ、場合によっちゃ、作り手も主役なのかもしれません
いろんな本当が多層的に重なっていることを知っていけるように
これは大切なことかもしれない
-
-
「おやすみ」
役割の服を脱いでご入室ください
ただのわたしを歓迎いたします
諦念が受容の前段階なら
また夏ごろには別の人になってる
幸福感で自分を満たすこと
憎悪対象への唯一の聡明な報復
そういう希望を持つ方が良いでしょう
(一人称を代入*)の選択を、正解にしてあげる
作品は有形の呪文
簡単に手を離してくれる
健康的な依存先みたいなもの
なにかにつけて疲れたら
いつでも休めるように
あたまのなかに休憩室をつくる
find me , find out
宇宙でひとつ
しかも現在、数十年のみの存在
povi ami 愛せるようになる
よく聞いて遠くまで飛ぶ
深い眠りから覚めるまで